■短編小説 新賃金制度導入物語      作成年:1995

この物語は、エール博士の甥が経営する会社(株式会社エール技研)をモデルにしたものである。


プロコンサルタントの方は、ご笑覧ください。
経営者・管理者の方は、賃金制度の導入・見直しの参考にしてください。
なお、法的にチョットネ?という部分もありますが、色々と欲張って問題提起をした結果であります。まあ物語ですから読みすごしてくださいネ。


プロローグ

もう春風が心地良い季節になってきた。なんとなく心がウキウキするはずの季節、しかし、山田太郎の心はドンヨリ曇っていた。

太郎が経営する株式会社エール技研は研究開発型の会社である。社員の数は、役員2名、正社員18名、契約社員1名、パートタイマー2名、総勢23名である。所属部署は総務課、管理課、営業課、技術課の4つに分かれており、それぞれの課に1名の課長がいる。

会社の業績はどうなのかと言うと・・・平成不況にどっぷり浸かってしまったため、今期も赤字である。給料は安いが会社を辞めても再就職先がないので仕方なく働いている・・・ように見える社員が多いのには困ったものである。惰性で仕事をしているのが見え見えの社員が多数を占める中で、本当に頑張っている社員も何人かいる。しかし、会社には賃金の決定基準が定められていないために、あまり思い切った賃金格差をつけにくいのが現状である。
「これからどうなってしまうんだろう。今、自分は何をしたらいいんだろう。」
その後、太郎の悩みを解決してくれる救世主が現れるのだが、今は知るすべもなかった。

第1章 社長の決断

このままではじり貧である。太郎は、過去1年間の経営資料をひっくり返して、いろいろと分析をしてみた。その結果わかったことは、会社の利益に貢献している社員は3割程度しかいないことだった。残りの7割の社員は会社にぶらさがっているだけである。

太郎は普段使っていない頭がくたくたになるまで考えた。そして、次のような仮説を立ててみた。貢献してない社員は能力がないのではなく、いくら頑張っても賃金に反映されないから手を抜いているのではないか。それならば、頑張っている社員の中にも余力を残している者がいるはずである。

以前、伯父のエール博士から言われたことがある。
「お前も社長という役割を担うからには、社員にとって働きがいのある職場環境を作ることに注力するのじゃぞ。社員に一生懸命働く気を起こさせる『しくみ』を作ることが会社の繁栄につながるのじゃ。人・物・金・情報・時間という経営資源の中で“人”を一番に考えなければ経営者失格じゃぞ。物を造るのも、金を生むのも、情報を活用するのも、時間を有効に活かすのも全て“人”でしょうが」

「よ〜し、自社の賃金制度を作るぞ」
太郎は決断し、エール博士に相談しに行くのだが・・・。

第2章 エール博士のあたたかい指導 ?

エール博士は、とても面倒臭がり屋である。甥の頼みとはいえ、相談に応じてくれる様子は全く見られない。

「博士、どうしたらいいでしょう」
「しょうがねぇなぁ。お前も儂の血を引いているのじゃから、賃金制度くらい自分で作らなきゃいかんでしょうが」
とても冷たい伯父である。

‘あーあ、こんなとこに来たのが間違いだった’
太郎は心の中で吐き捨てるように言って、帰りじたくを始めた。とその時、エール博士は一匹のうさぎを連れてきた。
「この“ぴょん太”はお前よりIQが高いぞ。連れていって、いろいろと教えてもらいなさい」

ぴょん太とは、エール博士ご自慢のペットの「うさぎ」である。
太郎は‘完璧にばかにされている’と思いながらも、エール博士には逆らえずに「ありかとうございました。“ぴょん太先生”にご教授いただきます」と言って、ぴょん太を連れて帰ったのだったった。

第3章 賃金体系の設計

午後1時の社長室(四畳半だけど)はポカポカしていて気持ちがいい。
「ふーん、なるほど、なるほど」
太郎は、なにやら感心したように呟いている。
「何をしているの?」
山田花子がそっと声を掛けて来た。
「左耳はダメ…ダメ…もっと…」
左耳の近くで囁くのは、時と場合を考えてもらいたいものである。

「いやね。このうさぎ…もとい、うさぎ様は“ぴょん太先生”って言うんだけど、なかなか凄いことができるので感心してたところなんだよ。キミも夜になると凄いことばかりして僕を感心させるけど!?」
いつも一言余計な太郎であった。
「ようやっと賃金診断を終えて、賃金体系を作り始めたところなんだけど、専務であるキミの意見も聞きたいな」
「ふーん。こんなこともできるのね。」
「そうさ。こんなことも、あんなことも、うしししし…」
「ちゃかさないでよ。ほら、住宅手当と役職手当の設計パターンにマトリックスを選べば、当社の手当はすべて人事情報と連動できるわよ」
花子の物事を理解する能力は太郎よりはるかに高い。それは、太郎にとってしゃくにさわる部分であると同時に、パートナーとして頼りにしている部分でもある。諸手当は花子の言うとおりに作ることにした。

「次は基本給の設計をしたいんだけど、できるだけ手当を含めた総額が従前賃金と同じ金額になるようにしようと考えているんだよ。会社も厳しい状態だからね。」
「あなた、見て、見て」
「こらこら、会社の中じゃ社長と呼びなさいよ」
「“ぴょん太先生”が、前足で従前賃金をベースにする方法を教えてくださっているわよ。すごーい、残業手当を考慮して設計することもできるんですって。中小企業の実態をよくわかっている人が教え込んだのでしょうね。」
「実は、あの偏屈な伯父が調教したうさぎなんだ。性格は悪いけど、確かにこの“ぴょん太先生”は凄いよ。もう1週間も指導してもらっているんだよ」

それから1時間ほどして基本給表の設計に入った。
「社員に渇を入れるために能力給か職務給の1本でいこうと思うのだが」
太郎は花子に意見を求めた。
「当社では能力給がいいわね。だけど1本でいくのは無理よ。家族手当や住宅手当などの生活関連手当が低いから、基本給でも考慮してあげなければ社員の理解は得られないわ」
「そうだね。それじゃあ能力給と年齢を考慮した生活給の2本立てにしよう」
「それと、能力給はコース別に2つ作った方がいいわね」
「なんだって。複線型にしようっていうのか・・・しかも、そんなヘンテコリンな。こんな小さな会社に必要ないだろう」
「いいえ、必要だわ。定型事務の人達の賃金を考えてみてよ。他の社員と比べてずいぶん低いでしょう。この人達の賃金を大幅にアップさせるつもり?」
「いいや、そんなことをしたら会社が潰れちゃうよ」
「それに、基幹業務をしている人達からも不満がでるわ。」

結局、基本給も花子の言うとおりに作ることになった。能力給と生活給の2本立てで、能力給は基幹職用と定型職用の2種類である。
生活給はすんなりと作れたが、能力給は少し迷う部分があった。能力給の設計パターンとして「等級別」を選んだのだが、「等級別」はさらに幾つものパターンに分れているからだ。結局、昇給のときに人事考課を反映させる方法の1つである考課累積型を採用することにした。

「毎月の賃金だけいじってもあまり効果はないから、いっしょに人事考課制度も導入しようと思うんだ。それとボーナスでもうんと差がつくようにしたいね」
これには花子も“ぴょん太先生”も大賛成。太郎の言ったことが初めて採用された記念すべき瞬間であった。

「さて、基本給と諸手当ができたので、次は各社員の賃金を決定しましょう」
花子が積極的になってきた。どうやら賃金設計というゲームにはまってしまったようである。
「あら、“ぴょん太先生”が、個人別みなし処理として年齢や勤続年数を調整することができると言ってるわ」
「それは素晴らしい。大いに利用価値がありそうだな」
「いいえ、これは当社には関係ないわ。飛ばしましょ」
「そうだな。関係ないからな。ここは飛ばそう」
誠に情けない男である…太郎自身そう思った。

「調整給は従前賃金に足りない人に付ければいいわね。従前賃金より多くなった人はどうする?」
「調整給がマイナスになるのもおかしいし、その人達は増額してあげようよ」
ぴょん太先生も花子も顔を縦に振ってくれた。太郎の意見が採用されたのは、これが2度目のことである。

いままで進めてきたのは、すべて18名の正社員の賃金である。2人は正社員以外の社員の賃金設計も行ない、すべてが終了した時にはもう外は暗くなっていた。
「さあ、家に帰って夕飯の仕度をしなくては」
そこには主婦の顔をした花子の姿があった。

第4章 賃金改定

新賃金制度を導入してから1年が経った。
社長室では、太郎が何やら首をひねりながら考え事をしていた。そこに花子が入って来た。

「難しい顔してるわね。どうしたの?」
「社員の昇給を考えていたのだが、どうもよくわからないんだ。エール博士は“1%位のベースダウンなら賃下げになる社員はほとんどいないじゃろ”と言うんだけど」
「あなたは、昇給とベースアップの違いがよくわかっていないのよ」
「会社では社長と呼ぶように言ってるでしょうが。あれ、エール博士の口癖がうつっちゃったよ」
太郎は、また花子にばかにされたので、わざと話をそらせたのである。
「昇給は、現在の賃金表を変えずに、その中で賃金が上がる部分を言うのよ。生活給は年齢ベースで設計しているから1年経てば1歳増えた年齢の賃金になるの。能力給の号俸は、標準で毎年4つ上がるように設計したでしょう。昇給が終わったら、ベースアップかベースダウンをして賃金表を書き替えるのよ。ベースアップをすれば賃金表は底上げされて会社の賃金水準が高くなるの。逆にベースダウンをすると会社の賃金水準が低くなるのよ。よく覚えておきなさい」

まだ、太郎は理解していなかった。こう立て続けに言われては、太郎の頭ではとてもついていけないことをわかっているはずなのに…花子は意地悪な女だった。
「それじゃあエール博士の言ったことはどういう意味なんだい?」
「社員の昇給率は2%位あるから、1%位のベースダウンなら高齢の社員やよほど業績の悪い社員でなければ減額にはならないだろうという意味よ。でも、会社の賃金水準は去年の水準より1%落ちるのよ。」
花子にグラフを書いて説明してもらって、やっと理解できた太郎だった。

「賃金改定で難しいのは、昇給とベースアップの違いだけだね。あとは事務的な作業だから僕がやっとくよ」
いやはや、どちらが社長かわからない。でも、花子は、そんな太郎の頼りないところがカワイイと感じたのであった。

エピローグ

「そういえば“ぴょん太先生”は、本当に役にたったわね。タダで教えてもらっては悪いみたい。」
「本当だね。あのがめつい伯父にしては最高のプレゼントだったよ」
太郎と花子は心の底からエール博士に感謝をしている今日この頃である。

その頃、エール研究所では大騒ぎになっていた。
「博士にお伺いします。“ぴょん太”の指導記録に空白の1週間があるのですが、ご存知ありませんか?前期は、その分だけ赤字ですよ」
助手のガイド君が鋭く追及した。
「博士がごまかしたとしか思えないぴょん。ボクはちゃんと仕事してたぴょん」
ペットのぴょん太も追い打ちをかけるように非難した。

「儂はそんなこと知らんでしょうが」
とても忘れっぽいエール博士…75歳の春であった。

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